子女の悲劇
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/13 10:23 UTC 版)
正室との間に子はなく、側室との間に7人の子供が生まれたが、ほぼ0歳で死亡している。これはお由羅騒動の原因となった島津斉彬の子女と同様、乳母の胸まで塗られたおしろいによる鉛中毒が原因ではないかと推定されている。特に薩摩女性に厚化粧の風習があった。長溥の末子・種姫は唯一1歳を迎えたが、その最期は脳膜水腫(髄膜炎)の症状で嘔吐、全身痙攣を繰り返す悲惨なものだった。この鉛中毒が乳幼児の死亡原因と分かったのは大正時代末になってのことである。
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