子女と李王家の関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/22 22:12 UTC 版)
先妻・誠子(佳子)との間に長男の沖、次男の沂、長女沃子の2男1女を儲けた。沖・沂・沃子は、1947年にそれぞれ忠久・欣也・明子に改名した。離婚により、前述のように長男と長女は佳子が引き取り、次男は虔一が引き取った。次男欣也は、虔一の再婚相手・美子の父・前田藤吉の養子となっており、また1955年に虔一と同様に日本国籍を取得した。後妻・美子との間には、一男の孝哉、ほか2女がある。 虔一は義王李堈の長男であり、かつて「公」の身分を有するなど、李堈の嫡出子として認められていた。このため2005年に元李王世子で李家当主の李玖が嗣子なく死去したことにより、桃山家の世帯主である孝哉(当時、開成高校で英語教師および教頭を務めていた)全州李氏の嫡流・当主を称することもできる立場であった。しかし孝哉は、美子が死去するまで父の出自については聞かされていなかったといい、李王家についても「自分は100%日本人だと思っている。李王家のことや王位継承うんぬんは私には何ひとつ関係のないことです」として韓国などにいる他の李王家末裔らと親戚付き合いはしていないという。他の虔一の子女も李王家末裔の集まりなどには参加していない。
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