子に関する伝説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/13 04:22 UTC 版)
『摂戦実録』によると、家臣である御宿友綱の子で大坂夏の陣の最終戦・天王寺・岡山の戦いにて戦死した御宿政友は、信貞の実子という伝説がある。これが事実であれば、政友は信玄直系の孫である。 『武田源氏一流系図』には、政友が大坂に辿り着いた際、葛山信貞の子である葛山貞友を伴っていた(つまり、貞友は政友に従って大坂に参陣した)とある。貞友は大坂夏の陣を生き延びて黒田忠之に仕えたようである。また、貞友は「御宿貞友」と名乗った後に仏門に入り、「葛山信哲斎」として80歳まで生きたとも『武田源氏一流系図』には記されており、貞友も信貞の実子ということになる。
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