子のダイシンヌ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/05 09:00 UTC 版)
ボロト・ブカにはダイシンヌという息子がおり、信州に駐屯して大元ウルスに対して叛乱を起こした陳友諒と戦いを繰り広げていた。1358年(至正18年)2月、王奉国率いる大軍を派遣して信州を攻撃し、ダイシンヌらは危機に陥った。1359年(至正19年)正月、ウイグル人将軍のバヤン・ブカ・テギンが王奉国らの軍勢を破って敗走させ、ダイシンヌらは急ぎ門を開いてバヤン・ブカ・テギンを出迎えた。 しかし、僅か数カ月後に陳友諒は再び大軍を繰り出し、ダイシンヌとバヤン・ブカ・テギンらは抗戦したものの、士卒は籠城戦に疲れ切ってしまった。その後、万人隊長(万戸)の顧馬児が叛乱を起こしたことを切っ掛けに城は陥落し、ダイシンヌは戦死した。
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