太徳足
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/26 21:19 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動太 徳足(おお の とこたり、生没年不詳)は奈良時代の貴族。姓は朝臣。位階は従五位下。名は徳多理とも表記される。
経歴
聖武朝後期の天平17年(745年)路野上・鴨石角・田辺高額・楢原東人らとともに外従五位下に昇叙される。翌天平18年(746年)路野上・鴨石角らとともに内位の従五位下に叙せられた。
天平18年(746年)正月の降雪で、左大臣・橘諸兄や大納言・藤原豊成ほか諸王諸臣たちが元正上皇の御在所(中宮の西院)で雪かきをし、それから酒宴が行われている。その際に、上皇の勅命により雪を題材として諸臣が和歌を詠むことになり、徳多理も応詔歌を詠んだ。しかし、その際の和歌を記録しておかなかったため、名前があがっているだけで現在に伝わっていない[1]。
官歴
『続日本紀』による。
脚注
- ^ 『万葉集』巻第17-3926左注
参考文献
- 太徳足のページへのリンク