天皇への進言
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 04:43 UTC 版)
1945年10月、田中は朝日新聞の高野信に頼み、「週刊朝日」に天皇制護持についての文を掲載。「諸民族の複合体である日本が大和民族を形成できたのは天皇制があったからだ」という主旨だった。当時は禁衛府長官だった菊池盛登がこれを読み、12月21日、田中清玄は生物学御研究所接見室に招かれ、昭和天皇に拝謁した。石渡荘太郎宮内大臣、大金益次郎次官、入江相政侍従らも同席、小一時間、清玄は退位なさるべきではないことを懸命に申し上げたという。このことを聞いた安岡正篤が田中に会いたいと言ってきたが、田中は安岡や近衛文麿が嫌いだったので、断ったといわれる。
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