天海の出自
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/15 07:04 UTC 版)
『東叡山開山慈眼大師縁起』に「陸奥国会津郡高田の郷にて給ひ。蘆名修理大夫平盛高の一族」と記されていることから、三浦氏の一族である蘆名氏の出自で、陸奥国に生まれたとされる。しかし同縁起には「俗氏の事人のとひしかど、氏姓も行年わすれていさし知ず」とあり、天海は自らの出自を弟子たちに語らなかったとある。また、「将軍義澄の末の御子といへる人も侍り」と足利将軍落胤説も同時に載せられている。果ては姿を変えて生き残った明智光秀であるという説まである(天海=明智光秀説)。 須藤光暉は、諸文献の比較検討により、蘆名氏の女婿である船木兵部少輔景光の息子であると結論づけている。
※この「天海の出自」の解説は、「天海」の解説の一部です。
「天海の出自」を含む「天海」の記事については、「天海」の概要を参照ください。
- 天海の出自のページへのリンク