天応改元と桓武天皇即位
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/09 14:47 UTC 版)
呰麻呂によって引き起こされた戦乱を鎮定できないまま、混乱の宝亀11年は暮れた。翌年元日に日本史上唯一の元日改元である宝亀から天応への改元が行われる。改元にあたり伊勢斎宮の上空に美雲が顕れたことを瑞祥としたと詔が出されているが、この年は辛酉の年にあたり、かつ元日が辛酉の日であった。辛酉とは中国の易姓革命思想において革命が起こる年と考えられており、王朝交代が起きなかった日本においても、「辛酉」は政治の刷新が期待される年であるとする思想は共有されていた。したがってこの時光仁天皇は山部親王すなわち後の桓武天皇に譲位する内意を固めていたとする。 この改元の詔において、光仁天皇は異例の呼びかけを行っている。呰麻呂らのために道を誤って離反した百姓が「賊」を棄てて戻ってくるなら、三年間の課役免除を与えるとするものである。乱のために逃亡を余儀なくされた住民が多かったことを物語る内容であるが、果たして天応元年(781年)4月、光仁天皇は退位し桓武天皇が即位するのである。問題の解決は桓武天皇に託されることになり、征夷は都の造営と並んで彼の生涯の事業となる。
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