大黒座 (刈谷市)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 大黒座 (刈谷市)の意味・解説 

大黒座 (刈谷市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/06 17:44 UTC 版)

大黒座
Daikokuza
情報
正式名称 大黒座
開館 1918年
閉館 2012年3月
客席数 500席(1953年)[注 1]
925席(1960年)[2]
150席(1980年)[3]
用途 芝居小屋映画館
所在地 448-0834
愛知県刈谷市元中根町48[2]
愛知県刈谷市司町1-31(1960年の町名変更後)[3]
位置 北緯34度59分07.2秒 東経136度59分18.0秒 / 北緯34.985333度 東経136.988333度 / 34.985333; 136.988333 (大黒座)座標: 北緯34度59分07.2秒 東経136度59分18.0秒 / 北緯34.985333度 東経136.988333度 / 34.985333; 136.988333 (大黒座)
最寄駅 名鉄三河線刈谷市駅
テンプレートを表示

大黒座(だいこくざ)は、かつて愛知県刈谷市司町にあった芝居小屋映画館。1918年(大正7年)に芝居小屋として開館し、1950年(昭和25年)に映画専門館となった。1982年(昭和57年)以降は2スクリーンを有したが、2012年(平成24年)に閉館した。

沿革

  • 1918年(大正7年) - 芝居小屋として開館。
  • 1950年(昭和25年) - 映画館に転換。
  • 1978年(昭和53年)12月23日 - 建て替え。
  • 1982年(昭和57年)頃 - 2スクリーン化。
  • 2012年(平成24年)3月 - 閉館。

歴史

大生座

当地で急死した五代目 坂東蓑助

江戸時代の刈谷は刈谷城を中心として発展した城下町である。明治時代の碧海郡刈谷町緒川町(現・刈谷市司町)には大生座という芝居小屋があった[4]。1909年(明治42年)には知立出身の五代目 坂東蓑助が知立の東雲座(後の知立劇場)で興行し、その翌月には当地に訪れて興行したが、五代目 坂東蓑助は興行中の10月10日に急死した[5][注 2]。1912年(明治45年)には大生座で碧海軽便鉄道(社名は三河鉄道、今日の名鉄三河線)の建設工事起工式が行われた[6]

芝居小屋時代

大黒座(左奥)と料理屋の大喜館

刈谷町知多郡東浦村緒川を結ぶ街道の平坦化を図るため、大正時代にはこの場所の地盤を削り、1918年(大正7年)には伊藤鋭太郎が跡地の広場に芝居小屋として大黒座を創立した[4]。建物内部の仕上げは名古屋・伏見の御園座を模しており、格子状の天井、回り舞台、大小2つの花道、桟敷席を有する豪華な劇場だった[4]

六代目 尾上菊五郎七代目 松本幸四郎などが来館して歌舞伎の興行を行い、また大規模なホールを活かして政談演説会なども行われた[7]。この時代には少なくとも1950年代後半まで[注 3]、庭園を有する料理屋の大喜館(後の電装会館、今日のふれあいプラザゆうきそうの場所)があった[7]

映画館時代

刈谷市の映画館
1955年頃の大黒座

大黒座は戦後の1950年(昭和25年)に映画専門館に転換[8]。1953年(昭和28年)の愛知県には195館の映画館があり、刈谷市には大黒座と刈谷映画劇場の2館があった[1]。木造2階建てであり、座席数は500席、洋画も邦画も上映していた[1]。全国の映画館数がピークを迎えたのは1960年(昭和35年)である。この年の愛知県には321館の映画館があり、刈谷市には大黒座と刈谷映画劇場と日本劇場(現・刈谷日劇)の3館があった[2]。座席数は925席に増加[2]。映画最盛期の刈谷市内では、大黒座が東映日活作品、刈谷映画劇場が東宝松竹作品、日本劇場が洋画を上映してすみ分けを図っていた[9]

刈谷市内にあった刈谷映劇
刈谷市内にある刈谷日劇

1978年(昭和53年)に改築を行い、同年12月23日、『トラック野郎・一番星北へ帰る』(菅原文太主演)を封切ってリニューアルオープン。『映画館名簿 1980年』によると、1980年(昭和55年)にも東映と日活の作品を上映していた[3]。1982年(昭和57年)頃には東側に建物を増設し、大黒座1・2の2スクリーン体制となった。晩年は成人映画館となり、ビデオテープのレンタルと販売も行っていた。2012年(平成24年)3月に閉館。同年中には大黒座の建物が解体され、2013年(平成25年)には跡地が住宅地となった。2013年には大黒座が所有していたビデオテープ約1,200本をNPO法人に無償で譲渡し、大黒座が駐車場を貸していたデイサービスセンター「だいふく」に小規模な映画上映設備が整備された[8]

脚注

注釈

  1. ^ 1953年の映画館(東海地方) 「消えた映画館の記憶」を参照した[1]
  2. ^ 出典の『写真集 明治大正昭和 知立』では五代目 坂東蓑助が大黒座での興行中に急死したとあるが、五代目 坂東蓑助の生前にはまだ大黒座は存在しない。前身の大生座での興行中の出来事である。
  3. ^ 1957年の住宅地図に大喜館が記されている。なお、この住宅地図には大黒座が記されていないがその理由は不明。

出典

  1. ^ a b c 『全国映画館総覧 1953年版』時事通信社, 1953年。
  2. ^ a b c d 岩本憲児・牧野守監修『映画年鑑 戦後編 別冊 全国映画館録 1960』日本図書センター, 1999年, p.135
  3. ^ a b c 日本映画製作者連盟配給部会『映画館名簿 1980年』時事映画通信社, 1979年
  4. ^ a b c 『写真集 明治大正昭和 刈谷』国書刊行会、1981年
  5. ^ 『写真集 明治大正昭和 知立』国書刊行会、1980年
  6. ^ 磯貝国雄 名鉄臨港線大浜口駅 (PDF) 第50回 棚尾の歴史を語る会
  7. ^ a b 『刈谷・知立いまむかし』名古屋郷土出版社、1989年
  8. ^ a b 「ミニシアター、笑顔集え 刈谷のデイサービス、ビデオ1200本譲り受け整備」朝日新聞、2013年2月6日
  9. ^ 刈谷日劇/刈谷小劇場 港町キネマ通り


このページでは「ウィキペディア」から大黒座 (刈谷市)を検索した結果を表示しています。
Weblioに収録されているすべての辞書から大黒座 (刈谷市)を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
 全ての辞書から大黒座 (刈谷市) を検索

英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「大黒座 (刈谷市)」の関連用語

大黒座 (刈谷市)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



大黒座 (刈谷市)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの大黒座 (刈谷市) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS