大頭流
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/24 15:58 UTC 版)
初代幸若の子弥次郎の弟子に山本四郎左衛門という人がおり、幸若舞の一流である大頭流をたてた。その弟子の百足屋善兵衛の、そのまた弟子(つまり山本四郎左衛門の孫弟子)の大沢次助幸次という人が、天正10年(1582年)、筑後の山下城主蒲池鎮運に招かれて九州に渡り、柳川城主の蒲池鎮漣などが家臣達にこの舞を教えたと伝えられる。明治維新後、禄を離れた各地の幸若舞はその舞を捨ててしまい、この大江伝承の大頭流(いわゆる大江幸若舞)のみが、現在に伝わっている。
※この「大頭流」の解説は、「幸若舞」の解説の一部です。
「大頭流」を含む「幸若舞」の記事については、「幸若舞」の概要を参照ください。
- 大頭流のページへのリンク