大韓民国成立後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/13 02:57 UTC 版)
大韓民国成立後、1955年に鎮海邑が鎮海市として分離。1970年代、昌原面・上南面・熊南面は馬山市に編入されたのち昌原新都市として開発が行われ、1980年に昌原市となった。このため、西部・北部・東南部に分散して残った郡部は義昌郡に改名した。東南部の熊東洞が鎮海市に、天加洞(加徳島)が釜山広域市江西区にそれぞれ編入された後、1991年に再び昌原郡に改名。1995年1月1日、西部の5面が馬山市に、北部の3面が昌原市に統合され、昌原郡は廃止された。
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