大賀信貞
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大賀 信貞(おおが のぶさだ、慶長15年(1610年)1月3日 - 寛文5年(1665年)7月17日)は、江戸時代前期の博多の豪商、海外貿易家。博多の三傑の1人・大賀信好(大賀宗九)の三男で、父の死後に跡を継いだ。通称は惣右衛門、晩年薙髪して閑鷗斎、または西江宗伯と号した。後世には大賀 宗伯(おおが そうはく)の名で知られる。海外との交易を通して、伊藤小左衛門やほかの貿易商人とともに福岡藩の黒田家の財政に関わった[1][2]。
- ^ 『日本人物レファレンス事典 商人・実業家・経営者篇』日外アソシエーツ、133頁、134頁。『福岡県の歴史』山川出版社、199-200頁。林洋海『シリーズ藩物語 福岡藩』現代書館、105頁。外山幹夫『長崎奉行 江戸幕府の耳と目』中央公論社、146頁。
- ^ a b c d 「大賀信貞」『日本人名大事典』1巻 平凡社、526頁。
- ^ 八百啓介『砂糖の通った道 菓子から見た社会史』弦書房、37頁。
- ^ 八百啓介『砂糖の通った道 菓子から見た社会史』弦書房、37頁。林洋海『シリーズ藩物語 福岡藩』現代書館、107-108頁。
- ^ 林洋海『シリーズ藩物語 福岡藩』現代書館、91頁。
- ^ 八百啓介『砂糖の通った道 菓子から見た社会史』弦書房、37-38頁。
- ^ 『「株式会社」長崎出島』 赤瀬浩著 講談社選書メチエ、53-55頁。永松実『長崎代官末次平蔵の研究 「闕所御拂帳」を中心に』宮帯出版社、179-180頁。
- ^ 永松実『長崎代官末次平蔵の研究 「闕所御拂帳」を中心に』宮帯出版社、50頁。
- ^ 八百啓介『砂糖の通った道 菓子から見た社会史』弦書房、38頁。林洋海『シリーズ藩物語 福岡藩』現代書館、107-108頁。
- ^ 八百啓介『砂糖の通った道 菓子から見た社会史』弦書房、37-38頁。
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