大藤家
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大中臣氏、藤原氏又は楽々森彦命を祖とする社家藤井高利家(三日市藤井氏)に属する。嘉永3,4年(1850,1年)頃、父高雅は『今昔物語集』「地蔵菩薩を念ずるに依りて主に殺さるる難を遁るる語」に見える大藤大夫(藤原文時)を先祖と称し、家号を大藤と定めた。 父:藤井高雅 - 吉備津宮社家頭。尊王攘夷派に暗殺された。 母:松野 - 藤井高豊遺女。文政4年(1821年)2月14日生、弘化3年(1846年)10月3日没。兄:尚太郎 - 天保9年(1838年)7月22日夭折。 妻:多喜の - 備前国赤磐郡小野田村(岡山県赤磐市熊山地域)木梨家次女。死別後、御津郡大野村高柳(岡山市北区)河野寿吉に再嫁した。娘:やすの - 丸川伝四郎に嫁いだ。 娘:つるよ - 1905年(明治38年)没。 娘:松枝 - 野崎平九郎に嫁いだ。 長男:春雄 - 1912年(大正元年)34歳で死去し、大藤家は断絶した。
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