大徳寺玉林院内の墓(京都府京都市北区紫野大徳寺町)
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寛保3年(1743年)5月22日、幸盛の子孫である大坂の商人、鴻池家当主をはじめ18名によって建立された。 鴻池家は先祖の菩提を弔うために、江戸時代中期の寛保年代に、玉院林の中に位牌堂を創建した。この位牌堂は「南明庵」と称され、幸盛の位牌もそこに安置されている。この南明庵の向かいの墓所に幸盛の墓がある。墓の裏面には、次のように記載される(原文は漢文)。「尼子忠臣山中幸盛、幼きより勇彊にして、軍鋒の魁たり。年三十四にて備中阿部に戦死す。実に惟れ天正六戊寅五月廿二日也、子孫一宗、鴻池十八人相與に謀り、樹石を紫野玉林禅院に奉り、先ず本に報じ、以て無窮に示す。 寛保三年歳舎癸亥五月廿二日 現住比丘大龍宗丈誌す」。
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