大岡忠種 (大目付)とは? わかりやすく解説

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大岡忠種 (大目付)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/13 06:38 UTC 版)

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大岡 忠種
時代 江戸時代前期
生誕 慶長16年(1611年
死没 貞享元年5月30日1684年7月12日
改名 忠一(初名)→忠勝(ただとう)→忠種
別名 忠四郎(通称
戒名 浄譽
官位 従五位下、佐渡
幕府 江戸幕府二の丸留守居、御徒頭、目付
新番頭大目付
主君 徳川家光家綱
氏族 藤原姓大岡氏
父母 父:大岡忠世、養父:大岡忠行
兄弟 忠種忠真
正室:浅井元吉の娘
忠方(長男)、忠英、娘(戸田直武室)、
娘(榊原政盛室)
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大岡 忠種(おおおか ただたね)は、江戸時代前期の旗本。大岡忠行家2代当主。大岡忠世の長男。同名の孫がいる。

生涯

伯父の旗本・大岡忠行の養子となり、元和元年(1615年)、養父の死後にその遺跡を継ぐ。慶安4年(1651年11月26日江戸城二の丸留守居承応2年(1653年10月21日に御徒の頭、万治元年(1658年9月1日目付、万治3年(1660年5月1日に新番頭を歴任する。

寛文10年(1670年5月16日には旗本最高位とされる大目付に任じられた。同年12月28日、従五位下佐渡守に叙任された。

天和元年(1681年4月13日に大目付を辞し、天和2年(1682年12月18日に致仕。貞享元年(1684年5月30日に死去、享年74。

出典

先代:
大岡忠行
大岡忠行家第2代当主
1615年 - 1682年
次代:
大岡忠方



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