大岡忠烈とは? わかりやすく解説

大岡忠烈

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/24 19:13 UTC 版)

 
大岡忠烈
時代 江戸時代中期 - 後期
生誕 明和4年11月9日1767年12月29日
死没 弘化元年12月18日1845年1月25日
別名 鶴次郎(通称
墓所 埼玉県さいたま市岩槻区日の出町の龍門寺
官位 従五位下、丹後
幕府 江戸幕府
武蔵岩槻藩
氏族 大岡氏
父母 父:大岡忠喜、養父:大岡忠要
兄弟 忠要忠烈
養子:忠正
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大岡 忠烈(おおおか ただやす)は、江戸時代中期から後期の大名武蔵国岩槻藩第4代藩主。大岡忠房家7代当主。大岡忠喜の次男。

生涯

天明6年(1786年)、兄の先代藩主・忠要が死去した際に家督を相続する。同年、従五位下丹後守に叙任する。

子に恵まれず、叔父(大岡忠喜の弟)加納久周の三男の久成を養子とし、大岡忠正と名乗らせて後継に据えた。寛政8年(1796年)、日光東照宮遷宮の際に警護役を務め、翌寛政9年(1797年)に家督を忠正に譲って隠居する。弘化元年(1844年)に死去。享年78。

系譜

父母

養子






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