大山とのタイトル争い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 14:20 UTC 版)
初のタイトル挑戦は第10期(1959年度)九段戦であり、大山康晴三冠王(名人・九段・王将を独占)と戦ったが3勝4敗で敗れた。その直後の第9期王将戦でも大山に挑戦したが、2勝4敗で敗退した。第10期(1960年度)王将戦、第12期(1961年度)九段戦、第21期(1962年)名人戦では、四冠王の大山(新設の王位も含めて独占)と対決するが、いずれも敗退。 第12期(1962年度)王将戦では、今度は五冠王となっていた大山(新設の棋聖も含めて独占)を4勝2敗で破り、初のタイトルとなる王将を獲得。タイトル戦の数が3つの時代の1959年から続いていた大山の全冠独占を初めて崩した。 翌年度、王将を大山に奪還されて五冠復帰を許した。大山は1963年から1966年の間にタイトル19連続獲得を達成して五冠王を維持し、その間に二上はタイトル戦で大山に6回挑戦したがいずれも敗れた。第8期(1966年度前期)棋聖戦で大山を3勝1敗で破り、再び大山のタイトル独占を崩す。半年後に棋聖位を奪還され、再び大山が五冠を独占した。 大山とは、通算で45勝116敗、タイトル戦では20回対戦し奪取2・防衛0・敗退18であるが、大山の五冠独占を2度崩した。
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