大審院判事従六位
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明治8年(1875年)4月大審院設置が布告され裁判制度改革(八年改革)の時、弘道は司法省から六等判事従六位に任じられた。巡回裁判に隣席、東京上等裁判所判事、大審院判事、広島裁判所判事、同山口支庁所長代理を歴任した。維新政府首脳の出身地である薩長土は幕藩権力が強く、封建の旧習を固守しており、八年改革後も地方官が裁判権を掌握していた。明治11年(1878年)10月そんな山口支所に弘道は乗り込み、死罪など重罪を多く裁いた。海外視察時サンフランシスコで裁判の実情を見聞した経験が活かされた形だ。
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