大八木氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/28 03:29 UTC 版)
大野木氏の中に大八木氏に改姓した家がある。柳河藩士の大八木氏系図では高綱の二男である次郎左衛門高行の16代孫の高澄(加賀守)が近江国坂田郡大野木郷に住して大野木氏を称し、後に大八木氏と改姓したとする。高澄の子・永広(小兵衛)は細川忠興に預けられて後に山城国嵯峨に住し、永広の子である玄忠が医者となり、その子孫が江戸幕府の奥医者や柳河藩医、高松藩士になったとする。 また、寛政重修諸家譜では大野木高盛(加賀守)が三代の子孫である秀盛(新右衛門)が剃髪して玄忠と称して医者となり、その4代目の大八木高豊(伝庵)が正徳元年(1711年)に幕府奥医師になったとしている。
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