大マニラ市の誕生
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 16:56 UTC 版)
戦時中、ケソン大統領は緊急措置として、マニラ市とケソン市、それにカローカン、ラスピニャス、マリキナ、パシッグ、パラニャーケ、マラボン、ナヴォタス、サンフアンデルモンテ、サンペドロデマカティ、サンフェリペネリ、モンティンルパとタギッグ・パテロスの自治体とを併せ、「大マニラ市(City of Greater Manila)」を誕生させた。市長にはホルヘ・B・ヴァルガスが任命された。大マニラ市に含まれる市や自治体の市長は、その町の副市長を兼任していた。これは、ケソンの行政上の主席副官であったバルガスが、国際軍法上認められる権威ある地位を確保するためであった。大マニラ市は、日本軍によって占領地を統治するフィリピン行政委員会が設立されたことにより廃止された。ただ、大マニラ市は、現在のマニラ首都圏のモデルとなり、マルコス政権時代に設置されたマニラ首都圏知事の行政機能を担っていた。
※この「大マニラ市の誕生」の解説は、「マニラ首都圏」の解説の一部です。
「大マニラ市の誕生」を含む「マニラ首都圏」の記事については、「マニラ首都圏」の概要を参照ください。
- 大マニラ市の誕生のページへのリンク