外字新聞
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 14:53 UTC 版)
神戸外国人居留地で最初に発行された外字新聞は、A・T・ワトキンスが創刊した「ヒョーゴ・アンド・オーサカ・ヘラルド」で、第1号の発行は1868年1月4日(慶応3年12月10日)である。続いて同年4月23日(慶応3年4月1日)には「ヒョーゴ・アンド・オーサカ・ヘラルド」で植字工をしていたフィロメーノ・ブラガによって「ヒョーゴ・ニュース」が創刊された。やがて「ヒョーゴ・アンド・オーサカ・ヘラルド」は購読料の安い「ヒョーゴ・ニュース」に押され数年のうちに廃刊となった。 1888年(明治21年)に入り A・W・クイントンにより「コーベ・ヘラルド」が、1891年(明治24年)10月2日にはロバート・ヤングにより「コーベ・クロニクル」が創刊された。「コーベ・クロニクル」では後述のように小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)が社説を執筆したこともある。居留地返還直後の1899年(明治32年)、「コーベ・クロニクル」は「ヒョーゴ・イヴニング・ニュース」と改称していた「ヒョーゴ・ニュース」を買収して社名を「ジャパン・クロニクル」に改め、神戸のみならず日本において最大の発行部数を記録する外字新聞に成長した。 「コーベ・ヘラルド」は1926年(大正15年/昭和元年)に「コーベ・ヘラルド・オーサカ・ガゼット」と改称したがその後まもなく廃刊した。「ジャパン・クロニクル」は太平洋戦争中の1942年(昭和17年)1月に廃刊した。
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