墨家三派・別墨
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/08 00:42 UTC 版)
中国語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります。韓非子/顯學 ウィキソースに荘子/天下の原文があります。 戦国時代の末期には、墨家は内部で派閥対立を起こしており、とりわけ「相里氏」「相夫氏」「鄧陵氏」(zh)の三派に分裂していた。 『韓非子』顕学篇によれば、当時の「顕学」(勢力が顕著だった学派)は、「儒」(儒家)と「墨」(墨家)の二学派であり、前者は八つの派閥(儒家八派)に、墨家は三つの派閥(相里氏、相夫氏、鄧陵氏)に分かれていたという。 『荘子』天下篇では、相里氏と鄧陵氏にあたる二派を含む、複数の学派について言及し、いずれの学派も同じ『墨経』を共有しながらも異なる解釈をもち、相互に「別墨」と呼んで非難しあったという。ここでいう『墨経』と現存の『墨子』との関係は不明である。ただし、天下篇の同じ章に「堅白同異」というフレーズが見えることや、「経」という言葉から、墨弁と結び付ける見解もある。
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