増山正興とは? わかりやすく解説

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増山正興

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/14 15:10 UTC 版)

増山正興

増山 正興(ましやま[1] / ますやま[2] まさおき、1891年明治24年〉12月12日[1] - 1939年昭和14年〉2月21日[1][2])は、明治から昭和期の宮内官、政治家華族貴族院子爵議員。旧姓・中川、旧名・興功[1]

経歴

男爵中川興長の七男として生まれ、子爵増山正治の養子となる[1][3]。養父の隠居に伴い、1924年(大正13年)11月15日に子爵を襲爵した[1][3][4]

1919年(大正8年)7月、京都帝国大学法学部政治学科を卒業[2][3][5]

1901年(明治34年)侍従職出仕となる[2]。以後、臨時帝室編修局書記、高松宮御用掛兼宮内省御用掛などを務めた[2][3]

1936年(昭和11年)1月18日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し[6][7]研究会に所属して活動し死去するまで在任した[2][8]

親族

  • 妻:鋹子(しんこ、養父長女)[1]
  • 長男:正信(子爵)[1]

脚注

  1. ^ a b c d e f g h 『平成新修旧華族家系大成 下巻』560-561頁。
  2. ^ a b c d e f 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』55頁。
  3. ^ a b c d 『人事興信録 第11版 下』マ72頁。
  4. ^ 『官報』第3671号、大正13年11月17日。
  5. ^ 『京都帝国大学一覧 自大正8年 至大正9年』京都帝国大学、1920年、346頁「中川功興」。
  6. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、44頁。
  7. ^ 『官報』第2712号、昭和11年1月20日。
  8. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、46頁。

参考文献

  • 人事興信所編『人事興信録 第11版 下』人事興信所、1937年。
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 下巻』霞会館、1996年。
日本の爵位
先代
増山正治
子爵
長島増山家第3代
1924年 - 1939年
次代
増山正信



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