境界をめぐる争い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/05 20:48 UTC 版)
境界については古くから摂津国と丹波国の間で論争がたびたび起こったとされている。 17世紀末の1699年(元禄12年)、丹波国多紀郡福住村が峠の所有権と国境の位置を巡って京都奉行所に提訴している。その後奉行所で論争が始まるが、相手側の摂津国能勢郡天王村は「脚木摺峠(現在の天王峠)は摂津国の領地である」と主張し論争は大騒動に発展した。結果は天王村が勝訴したという。 1876年(明治9年)、峠付近の府県境が確定したことにより、峠部分は大阪府に属することとなった。
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