堀義路とは? わかりやすく解説

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堀義路

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/03 02:10 UTC 版)

堀 義路(ほり よしみち、1896年明治29年)2月7日 - 1972年昭和47年)10月17日)は、日本の工学者[1]

北海道大学工学部元教授[2]藤原工業大学元教授。

父は三光合資会社代表社員の堀卯三郎。長女は社会学者の杉山明子。孫はグロービス経営大学院大学学長の堀義人。従弟は政治学者潮田江次。妻の甥は政治学者の秋野豊

日本のエネルギー源石炭から石油原子力に転換させた陰の功労者である[3]

経歴

堀卯三郎の長男として東京府に生まれる[2][4]

1920年東京帝国大学工学部応用化学科卒業。大学卒業後は東大講師、農商務省技師文部省在外研究員を経て、1924年に北海道大学工学部講師となり、翌年教授に就任。在任中は重水製造の研究を始め、1934年に日本で初めてその濃縮に成功した。1942年4月退官[2]

1942年には新設の藤原工業大学(現・慶應義塾大学工学部)教授となった。1946年退職、1948年経済安定本部資源調査会委員となり、その間月刊「化学工業」を主宰。産業計画会議専任委員、電力中央研究所理事、工業開発研究所理事長、アメリカのPowerReactor Development Co.副社長、世界エネルギー会議特別委員会議長等を歴任。

1972年10月に出張先のアメリカで航空事故で死亡。

人物

妻の美津(1906年 - 没年不明)は北海バルブ工業会社監査役・薬種商である秋野音治郎の四女[5]。尚、姉・テイは森正則の長男・久則に嫁いだ。

脚注

  1. ^ 20世紀日本人名事典. “堀 義路とは” (日本語). コトバンク. 2021年8月28日閲覧。
  2. ^ a b c 大衆人事録. 第14版 北海道・奥羽・関東・中部篇 - 国立国会図書館デジタルコレクション” (日本語). dl.ndl.go.jp. 2021年8月28日閲覧。
  3. ^ 20世紀日本人名事典. “堀 義路とは” (日本語). コトバンク. 2021年8月28日閲覧。
  4. ^ 日本人名大辞典+Plus, デジタル版. “堀義路とは” (日本語). コトバンク. 2021年8月28日閲覧。
  5. ^ 秋野音治郞 (第8版) - 『人事興信録』データベース”. jahis.law.nagoya-u.ac.jp. 2021年8月28日閲覧。

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