堀綱四郎
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堀 綱四郎
ほり つなしろう
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生年月日 | 1894年1月1日 |
出生地 | ![]() |
没年月日 | 没年不詳 |
出身校 | 明治大学法学部 |
前職 | 古河鉱業足尾銅山 |
所属政党 | 無所属 |
配偶者 | きよ(竹内直の妹) |
子女 | 剛介(長男) 均平(次男) 湛(三男) |
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当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1931年9月 - 1935年4月 |
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当選回数 | 3回 |
在任期間 | 1935年5月 - 1946年2月 |
堀 綱四郎(ほり つなしろう、1894年(明治27年)1月1日[1][2] - 詳細不詳 )は、日本の政治家である。古河鉱業の足尾銅山に勤め[3]、社会運動を行い、愛国団体に所属した後[4]、栃木県会議員に当選し政治家となる[5]。その後、栃木県上都賀郡足尾町長(現:日光市)を3期務めた[6]。大分県大分市出身[1]。
経歴
生い立ち
1894年(明治27年)大分県大分市の士族である堀潜造の次男として出生する[1]。その後、家族で岡山県へ移住し、旧制岡山県立高梁中学(現:岡山県立高梁高等学校)へ入学[7]。1911年(明治44年)に同校を卒業し、1913年(大正2年)旧制第六高等学校へ進学する[8]。しかし、1年で同校を退学し帝国大学への進学をやめ、1914年(大正3年)私立の明治大学予科へ進学し、翌年、明治大学法学部へ入学する。この後、同大学を1918年(大正7年)24歳で卒業する[9]。
大学卒業後
大学卒業後、足尾銅山に就職し[3]、会社組合組織である足尾銅山鉱職夫組合総連合会に属した[10]。その後、日本国内で国粋運動が高まると、愛国団体へ所属し、社会運動に身を投じる[11]。1931年(昭和6年)37歳のときに、古河鉱業の支援を受けて、栃木県会議員選挙に上都賀郡選挙区から出馬する[5]。
この上都賀郡選挙区は有権者数27,075人で、有効投票数24,011票であり、当選5枠に7人が出馬。堀は4,361票を得て2位で当選する[5]。この1931年9月の選挙では、栃木県全体でも4番目の得票数で当選し、その後の足尾町長への流れに繋がっていく。この後、県会議員を辞職し、足尾町長となる[1]。
この時代の足尾町は、栃木県内でも人口の多い自治体としてしられ、足尾銅山の全盛時である1916年(大正5年)には、栃木県において県庁所在地の宇都宮市に次ぐ38,428人の人口を有していた[12]。しかし、鉱山の合理化や電動化が進むにつれて、鉱夫が減少し、1937年(昭和13年)には、人口が2万5千人程度にまで減少していた[6]。
堀は、足尾町の衰退を抑え町を発展させようとしたが[6]、銅の産出が減少するに従い町は緩やかに衰退していく。その後も第二次世界大戦後まで堀が町長を務めるが、既に10年以上町政を仕切ってきていた堀は具体的な対策が出来ないまま、人口の流出が相次ぎ、町民からは、戦前からの堀の古い思想が町政を駄目にしており、権力が強権的であるとして堀の本名をもじり『法律なし郎』と呼ばれた[4]。
町民から町長辞職運動が発生し、その圧力を受けて堀は、3期目の途中である1946年(昭和21年)2月に町長を辞職する[4]。その堀に追い打ちを掛けるように、1949年(昭和24年)55歳のとき公職追放処分を受ける[13]。その後は、静岡県に移住し、天神原開拓農事実行組合代表を務めている[14]。
その後、1970年(昭和45年)まで活動が確認されている[15]。
脚注
- ^ a b c d 大衆人事録 [全国篇] 12版 『栃木 15頁』, 帝国秘密探偵社 [編], 昭和12年
- ^ 大衆人事録 第14版 北海道・奥羽・関東・中部篇 『栃木 24頁』
- ^ a b 明治大学校友会員名簿 110頁, 明治大学校友会本部, 昭和10年
- ^ a b c 足尾銅山労働運動史, 足尾銅山労働組合, 1958
- ^ a b c 『戦前期茨城県・栃木県における県議会議員選挙の結果について』 114頁 1931年9月22日結果(上都賀郡 堀綱四郎 無所属 4,361票 当選), 麗澤大学, 櫻井良樹,
- ^ a b c 躍進日本大観 633頁, 東京日日新聞社 編
- ^ 〔岡山県高梁中学校有終会〕有終 第25号, 高梁中学校有終会, 1924年2月
- ^ 第六高等学校一覧 自大正2至3年 214頁
- ^ 明治大学校友会会員名簿 大正14年11月 48頁, 明治大学校友会本部, 大正13-14
- ^ 社会運動の状況 〔第7〕内務省警保局 編, 日本資料刊行会
- ^ 本邦愛国運動団体総覧 下巻 243頁, 新興日本社社会運動調査部 編 新興日本社, 昭和11年
- ^ 足尾郷土誌編集委員会『足尾郷土誌 1956年版』足尾町学校組合会、1956年
- ^ 資料公職追放 : 『公職追放に関する覚書該当者名簿』 復刻 2
- ^ 静岡県戦後開拓史, 静岡県開拓生産農業協同組合連合会, 1981.3
- ^ 声の太郎杉 続々, 東照宮林務部 編 日光東照宮, 1973
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