城兵の抵抗
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/03 09:17 UTC 版)
二俣城は天竜川と二俣川が合流する地点の丘陵上に築かれた城で、この川が天然の堀を成していた堅城であった。城将は中根正照、副将は青木貞治であり、城兵の数は1200人ほどであった。一方の武田軍は馬場信春軍と信玄軍が合流して、2万7000人であり、力攻めも不可能ではなかった。 正照は家康、そしてその同盟者である織田信長の後詰(援軍)を期待して、信玄の降伏勧告を拒否する。このため10月18日から武田軍の攻撃が開始された。しかし二俣城の攻め口は、北東の大手口しかない。しかもその大手口は急な坂道になっており、攻め上ろうとする武田軍の進行速度は遅く、武田軍は二俣城を攻めあぐんだ。
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