坂本弘
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/25 23:51 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動坂本 弘(さかもと ひろし、1937年8月2日[1] - 2015年3月22日[2][3])は、日本のアナウンサー。
略歴
1969年11月4日、福島中央テレビに第1期アナウンサーとして入社。福島中央テレビ開局以来、メインアナウンサーとして活躍した他、チーフアナウンサー、放送実施局長[2][3]などを歴任し、後進指導にもあたる[1]。1995年8月31日、役員待遇・報道制作局付をもって福島中央テレビを退職[4]。その後は講演活動を主に行っていた[5]。 2015年3月22日、内臓疾患のため郡山市内の病院で逝去[2][3]。享年77。
出演番組
- FCTワイドニュース(1970年4月 - 1974年12月)メインキャスター
- 奥さま!11時です(1971年4月 - 1972年3月、1975年3月31日 - 1976年3月) - 司会
- ゴジてれシャトル(1994年10月 - 1995年)コメンテーター
- 特別機動捜査隊 第460話「砂の墓」(1970年、NETテレビ制作) - 本人役で出演
脚注
- ^ a b 燃えろFCT PARTII 福島中央テレビ10年の歩み、25頁。
- ^ a b c 『福島民友』2015年3月24日、27面。
- ^ a b c 『福島民報』2015年3月24日、23面。
- ^ FCT 写真で綴る30年、110頁。
- ^ “病院ニュース&コラム 当院ボランティアグループ「紙ふうせん」の新年会が行われました”. 一般財団法人 脳神経疾患研究所/総合南東北病院 (2008年1月29日). 2015年7月10日閲覧。
参考文献
坂本 弘(さかもと ひろし)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/03 18:11 UTC 版)
「熱笑!! 花沢高校」の記事における「坂本 弘(さかもと ひろし)」の解説
新ナンバ会の会長。髪を総髪にした唇の分厚い男。戦闘時には、日本の鎧兜を身に着ける。指導者でありながら、戦況の見通しが甘く、腹も据わっておらず、同盟校が危機に陥った際も動転するばかりであった。同盟校の救援に向かう際、宝蘭と陳の襲撃であっさり倒され、それを見た兵は逃げてしまう。その後、わずか50名の部下だけを持つ番長として、虎の支配下で生きることを許される。黒いゲリラと虎の最終決戦時には、虎の中央第1軍の副隊長として参戦するが、その後の動静は特に描かれていない。
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