土岐頼徳
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土岐 頼徳(とき よりのり、1843年10月8日 (天保14年9月15日) - 1911年(明治44年)5月12日)は、明治期の医師、日本陸軍軍医。最終階級は陸軍軍医総監(少将相当官)。美濃国出身。従四位勲二等。
- ^ a b c d e f 「日本人名大事典(新撰大人名辞典)復刻版 4巻」 P393「土岐頼徳」の項(下中邦彦編 平凡社 1979年)
- ^ 佐々木秀美「看護歴史探訪 (その3) 小児精神医療のパイオニア富士川游の看護観」『看護学統合研究』第11巻第2号、広島文化学園大学看護学部、2010年3月、37-49頁、CRID 1050577818268375040、ISSN 13460692、2024年4月1日閲覧“脚注27”」
- ^ 『官報』第3587号「叙任及辞令」1895年6月15日。
- ^ 小林力「脚気(1) 病原菌の発見」『ファルマシア』第47巻第11号、日本薬学会、2011年11月、1001-1001_1、CRID 1390282763037943040、doi:10.14894/faruawpsj.47.11_1001_1、ISSN 0014-8601、2024年4月1日閲覧。
- ^ a b c d 「鴎外 70号」 P112「森林太郎の小倉左遷の背景 台湾軍への麦飯給与をめぐる土岐頼徳と石黒忠悳との大喧嘩 山下政三」の項(森鴎外記念会編 2002年1月)
- ^ 「鴎外森林太郎と脚気紛争」(山下政三著 日本評論社 2008年)
- ^ 「脚気をなくした男 高木兼寛伝」(松田誠著 講談社 1990年)
- ^ 松村康弘, 丸井英二「わが国の「脚気菌」研究の系譜」『日本医史学雑誌』第32巻第1号、東京 : 日本医史学会、1986年1月、26頁、CRID 1520009408341028096、ISSN 05493323、国立国会図書館書誌ID:3062473。 (要購読契約)
- ^ 『官報』第1936号「叙任及辞令」1889年12月10日。
- ^ 『官報』第2551号「叙任及辞令」1892年1月4日。
- ^ 『官報』第2828号「叙任及辞令」1892年11月30日。
- ^ 『官報』第3644号「叙任及辞令」1895年8月21日。
- ^ 『官報』第3824号・付録「辞令」1896年4月1日。
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