土井義尚
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土井 義尚(どい よしなお、1942年 - )は、日本の禅僧、元陸上自衛隊の将官(陸将)。2022年現在、山梨県甲府市の限界集落にある曹洞宗・自性院の住職を務める[1]。
どい よしなお
土井 義尚
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生誕 | 1942年??月??日![]() |
出身校 | 防衛大学校 |
職業 | 禅僧 |
来歴
1961年山梨県立甲府第一高等学校卒、1965年防衛大学校機械工学科を卒業後、陸上自衛隊に入隊する。陸上自衛隊幹部学校生時代、防衛大で学んだ機械工学の知識を活用して、校内に設置されていた缶コーヒーの自動販売機に細工して無料でコーヒーが出して仲間に振る舞ったことが発覚し、大問題となる[2]。一時は退校処分まで検討されるが、当人の将来性を嘱望した校長の恩情により、大目玉を食らうことで事なきを得た[2]。
その後、幹部自衛官として、スウェーデン防衛駐在武官、武器学校長、技術開発官、補給統制本部長等を歴任し、陸将にまで昇進する。自衛官時代は、国際連合平和維持活動の一環としてアンゴラ共和国に派遣され4年間地雷除去を指揮した。1999年、定年退官後に僧侶を目指し、曹洞宗大本山永平寺で得度する[3]。
永平寺を送行後、僧籍のまま、小松製作所の顧問となる。その際、国際協力機構(JICA)の職員として出向していた元部下の進言により、カンボジアで地雷処理のNGO(非政府組織)の結成を決意した。2001年「日本地雷処理を支援する会」を創設し、初代理事長に就任[3]。地雷や不発弾処理の専門家として、カンボジア、ラオス、アフガニスタン、アンゴラでの撤去作業に取り組む[3]。2022年時点で、山梨県甲府の限界集落にある寺院・自性院の住職を務める一方で、DVの被害にあった女性を救済する駆け込み寺「一福寺」の創設を目指している[2]。
雑誌論文
- 「陸将住職の『行状記』(1~24)『軍事研究』 55(4)~57 (3), 2020-4~2022-03
- 「官でもない 民でもない そう(僧)でもない」『月刊JADI』(644) 24-39, 2001-01
- 「緊急展開能力と弾道ミサイルの近代化--中国の軍事態勢・地上軍ほか」『じゅん刊世界と日本』(955) 51-65, 2001-09-15
- 「元自衛官が振り返ったPKO」『Securitarian』 (529) 26-28, 2002-12
- 「私のライフワーク 連隊長、僧となりて不発弾処理に奮戦す」『時評』 48 (1), 98-103, 2006-01
関連項目
- 日本地雷処理を支援する会
- 村上光照 - 京都大学で湯川秀樹のもとで素粒子物理学の研究に従事した経験を持つ異色の禅僧
外部リンク
- 土井義尚 (yoshinao.doi.7) - Facebook
- 土井義尚 (@iq7Or54RyLeTuyb) - X(旧Twitter)
- チョイ聞き)江川紹子×土井義尚「ラジオの街で逢いましょう」より『RadiodaysTube』 - YouTube
脚注
- ^ 「土井義尚講師の講座紹介」『甲府市生きがい発見・応援サイト』2022-11-3
- ^ a b c “自衛隊「元陸将」はなぜ住職になった?限界集落の無人寺で活動する理由”. Diamond online (2022年11月23日). 2022年11月28日閲覧。
- ^ a b c “土井義尚 | アーティストプロフィール | ラジオデイズ”. www.radiodays.jp. 2025年1月21日閲覧。
- 土井義尚のページへのリンク