国衙域
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/07 21:57 UTC 版)
国府域の南寄りに方二町(約220メートル四方)の広さを持つ国衙域が位置し、その周りには幅約3メートルの土壇を持つ築地が巡らされて、東西南北の各辺には門が設けられていた。国衙内の施設は、後世の撹乱のために不明であるが、南北中軸線の西側に政庁、東側に厨・細工所・雑舎などが配されていたと推定されている。発掘調査により、奈良時代の土器や、墨で顔の書かれた石「人面墨書石(じんめんぼくしょいし)」などが発見されている。 現在は周防国衙跡史跡公園となっており、1778年(安永7年)に国庁寺の平重寛・平重勝が建立した国庁の碑が残されている。
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