国友藤兵衛家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/30 08:23 UTC 版)
国友村で年寄脇(年寄の次席)を勤める御用鉄砲鍛冶の家の一つ。辻村家とも言う。 一貫斎はこの9代目にあたるが、特に著名であるため説明なく彼を指して「国友藤兵衛」と呼ぶことが多い。初代・辻村(国友)藤内は美濃国の鍛冶師の出身であり、永正年間に近江国国友村に移り住んだと言われている。その跡を継いだ2代目以降の当主の多くが国友藤兵衛を名乗った。他の国友鍛冶職人は重当(旧字:重當。弾が「重ねて当たる」の意)の銘を用いるのが通例だが、藤兵衛家のみ能当(旧字:能當。「能(よ)く当たる」の意)を用いる。明治時代に入り11代目当主以降は鉄砲鍛冶を廃業している。 辻村藤内 国友藤兵衛 国友藤兵衛 国友吉十郎能直 国友藤兵衛有昌 国友藤兵衛重光 国友藤内好定 国友藤兵衛重倫 国友藤兵衛重恭 国友藤兵衛元俶 国友藤平能恭
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