四条隆宗
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| 時代 | 鎌倉時代後期-南北朝時代 |
| 生誕 | 不詳 |
| 死没 | 延文3年10月6日(1358年11月15日) |
| 改名 | 隆基→隆宗 |
| 官位 | 正三位、内蔵頭 |
| 主君 | 花園天皇→後醍醐天皇→光厳天皇→後醍醐天皇→光明天皇→崇光天皇→後光厳天皇 |
| 氏族 | 藤原北家末茂流四条家 |
| 父母 | 父:四条隆名、母:不詳 |
| 子 | 隆郷、隆冬 |
四条 隆宗(しじょう たかむね)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての公卿。正三位・四条隆名の子。官位は正三位・内蔵頭。四条家7代。善勝寺長者。初名は隆基(たかもと)。
経歴
侍従、丹後守、左近衛少将、内蔵頭を歴任。正慶元年(1332年)に隆宗(たかむね)と改名する。観応2年(1351年)従三位に叙せられ、公卿に列する。延文3年(1358年)正三位に昇進するも、同年10月6日の夜に自宅で盗賊に殺害された[1][2][3]。のちに盗賊は捕まったが、隆宗の首は道に置いてあったという[3]。
官歴
『公卿補任』による
- 延慶元年(1308年) 9月17日:叙爵(従五位下)
- 正和元年(1312年) 4月10日:従五位上
- 正和4年(1315年) 8月20日:正五位下。10月28日:侍従
- 正慶元年(1332年) 正月5日:従四位下。3月12日:丹後守。10月22日:左近衛少将
- 暦応2年(1339年) 正月5日:従四位上
- 暦応4年(1341年) 5月26日:内蔵頭
- 暦応5年(1342年) 正月5日:正四位下
- 観応2年(1351年) 4月16日:従三位
- 延文3年(1358年) 8月12日:正三位。10月6日:死去
系譜
出典
- 坂本武雄『公卿辞典』七丈書院、1944年。
- 黒板勝美『公卿補任』吉川弘文館、2000年。
脚注
- 四条隆宗のページへのリンク