四日市市との合併
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/26 01:55 UTC 版)
昭和10年代に三重郡富洲原町・三重郡富田町・三重郡大矢知村の3カ町村を合併する「朝明市」構想ができる。富田町と富洲原町の主導権争いから合併が困難となり大四日市構想から1941年(昭和16年)2月11日の紀元節に日永村・羽津村・常盤村・富田町と共に四日市市へ合併して、四日市市富洲原地区となった。 1941年(昭和16年)2月11日の紀元節に三重郡富洲原町が四日市市に合併した際に旧富洲原町の合併条件である富洲原地区選出の議員数は3人で以下の3名が地区別で割り当てられた四日市市議会議員となった。 平田佐矩が四日市市議会議員に就任していた。(富田一色出身の平田紡績社長と富洲原町議会議員から昭和16年から昭和22年まで四日市市議会議員に就任した。戦後助役となり、昭和34年から四日市市長となる)。 片岡恒一が四日市市議会議員に就任していた。(富田一色出身の三重県議会議員と帝国議会の衆議院議員から昭和17年から昭和22年に四日市市議会議員となる)。 早川政蔵が四日市市議会議員に就任していた。(天ヶ須賀出身の富洲原町議会議員から昭和16年から昭和30年まで四日市市議会議員となる)。
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