喜田華堂とは? わかりやすく解説

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喜田華堂

読み方きだ かどう

幕末・明治画家美濃生。名は景静、字は伯寿、別号に竹石居・半舟翁等。京に出て岸駒岸岱学び、のち名古屋住し画業を開く。名古屋に於ける岸派の祖といわれる明治12年(1879)歿、68才。

喜田華堂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/08 23:02 UTC 版)

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喜田 華堂(きだ かどう、1802年享和2年) - 1879年明治12年)2月7日)は、江戸時代後期から明治時代初期の日本画家。名古屋における岸派の祖。名を景静。字は伯寿。号に竹石居、半舟翁など。美濃国不破郡今須(現在の岐阜県関ケ原町)出身。

略歴

若くして両親を亡くして上洛、岸駒岸岱に師事し日本画を学ぶ。嘉永元年(1848年)頃、広井水車町(名古屋市)で開業し評判となり、尾張藩に招かれて藩御用絵師となった。

代表作

作品名 技法 形状・員数 寸法(縦x横cm) 所有者 年代 落款・印章 備考
妙應大姉縁起図絵 絹本著色 双幅 157.0x86.0(各) 妙應寺[1] 1864年(文久4年3月)
富貴祝寿之図 1幅 149.5x71.3 一宮市博物館[2] 1877年(明治10年) 一宮市博物館は華堂の作品を本作を含めて12点所蔵している。

関連項目

脚注

  1. ^ 『幽霊画と冥界』 平凡社〈別冊太陽 日本のこころ264〉2018年8月24日、pp.102-103、ISBN 978-4-582-92264-6
  2. ^ 一宮市博物館データ検索システム|木田華堂「冨貴祝寿之図」

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