喜多村久孝とは? わかりやすく解説

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喜多村久孝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/17 20:48 UTC 版)

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喜多村久孝
時代 江戸時代後期 - 明治時代
生誕 不明
死没 明治39年(1906年
別名 源八、久左衛門
墓所 青森県弘前市の貞昌寺
主君 津軽信順順承承昭
陸奥弘前藩
氏族 喜多村氏
父母 喜多村久盛
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喜多村 久孝(きたむら ひさたか)は、江戸時代後期の弘前藩士。

生涯

津軽信順の児小姓より、父・喜多村久盛の家督1200石を継いで、大寄合になった。祖先の北村久左衛門を殺害した村山七左衛門の弟の子孫・毛内有右衛門が七左衛門を名乗ることを申し出ると、すかさず久左衛門を名乗ることを申し出た。藩主・信順は双方の願いを聞き入れ、許可した。文政7年(1824年)から万延元年(1861年)にかけて稽古館第13代惣司を務めた。

慶応4年(1868年)の庄内討伐(秋田戦争)、明治2年の松前征討にも参加した。6月には参政次席となり、明治4年10月下相野村に土着した。

参考文献

  • 「青森県人名大事典」1969年、東奥日報社



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