和田の成立と中世
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/05 07:15 UTC 版)
「和田 (鹿児島市)」の記事における「和田の成立と中世」の解説
和田という地名は室町時代より見え、薩摩国谿山郡のうちであった。中世には和田村や和田名として見える。応永7年(1400年)の島津元久書下に「薩摩国谷山郡和田村并佐屋脇半分事」と書かれ、伊作久義に宛がわれた。和田には和田城(別名:玉林城、神前城)があり、山田諸三郎によって築かれたとされる。文安5年(1448年)の「伊佐智佐権現坪付」によれば谷山和田のうちが伊佐智佐神社領となっており、「霜月廿日祭田」、「八月ひかんの御祭」の田地とされている。 戦国時代になり、玉林城は島津実久が谷山を領した際に家臣らに守らせたが、のちに島津貴久に降りたとされる。
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