吉祥寺駅周辺再開発事業
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「後藤喜八郎」の記事における「吉祥寺駅周辺再開発事業」の解説
後藤は多摩地域最大の商業地区である吉祥寺の礎を行政の側から築いたことで知られる。就任1期目の1964年(昭和39年)、吉祥寺駅周辺の都市計画を決定。これは1965年(昭和40年)から1969年(昭和44年)4月にかけて国鉄が実施した中央本線荻窪・三鷹間の高架複々線化工事と連携したものであった。 都市計画は1971年(昭和46年)に吉祥寺大通り(1977年(昭和52年)全面開通)、翌1972年にアーケード商店街「サンロード」、1974年(昭和49年)にアーケード商店街「ダイヤ街東急チェリーナード」の完成をもたらし、後藤退任後の1987年(昭和62年)に終了した。
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