吉井長三と小林勇と清春芸術村
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/23 06:25 UTC 版)
「清春白樺美術館」の記事における「吉井長三と小林勇と清春芸術村」の解説
岩波書店会長の小林勇と吉井長三の交友は、小林の絵画展「冬青展」の開催を吉井画廊で引き受けて以来のもので、清春芸術村、清春白樺美術館の実現に向けてのよき相談相手でもあった。旧清春小学校校舎がまだ残っている頃に、両人で現地視察した。その際小林は、木造校舎を活用し、特に品川駅の天ぷらそばがうまいので、持ってこようと提案した。すでに実地調査を済ませた建築家の谷口吉郎から、老朽化した校舎の活用は不可能な上、美術館やレストランの配置にいたる具体案が既に示されていた事から、吉井が小林の提案を謝絶すると、小林は激怒して去っていった。 同じ頃、清春芸術村及び美術館建設には、地元の長坂町の町議会議員の一部が頑強に反対しており、吉井も一時はあきらめかけていた。小林は吉井に内緒で一人現地に足を運び、反対派の町議会議員を説得し、吉井に電話でその旨を告げたという。その後、小林が病に倒れてからも、吉井は病床に出向いては芸術村建設の進捗状況を詳細に報告していたが、小林が現地を再訪する事はついに叶わなかった。
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