台湾銀行時代
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1911年(明治44年)東京帝大を卒業すると、岡野敬次郎教授の推薦で台湾銀行に入行。東京支店支配人代理、広東支店長、日支合弁の「華南銀行」(本店台北)専務などを歴任した。 1921年(大正10年)台湾銀行に大蔵省検査が入り、台湾銀行不良債権の華南銀行肩代わりが明らかになったことにより、小笠原を含む華南銀行常任役員5名が華南銀行(台湾銀行)を退職した。しかし台湾銀行の人材不足や、問題の債権処理に小笠原は何ら係っていなかったことから台湾銀行に復帰し、審査第一部長として台湾銀行不良債権処理と鈴木商店の破綻処理にあたる。
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