台湾航路の落日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/08 23:17 UTC 版)
高千穂丸遭難により、3月下旬からは日本と台湾および上海を行き来する船舶は、護衛艦がつけられ船団を編成して行き来することとなり、もはや平和的な船旅は過去のものとなった。時の蝶花楼馬楽は大陸慰問の帰り、一行とともに富士丸で日本に帰国したが、その富士丸も次の航海でアメリカ海軍潜水艦グレイバック (USS Grayback, SS-208) の雷撃により沈没した。 大和丸も9月13日にアメリカ海軍潜水艦スヌーク (USS Snook, SS-279) の雷撃で沈没した。その後も船舶をやりくりしながら航路は細々と維持されたが、1945年4月に沖縄戦が始まると、台湾航路は事実上姿を消した。
※この「台湾航路の落日」の解説は、「高千穂丸」の解説の一部です。
「台湾航路の落日」を含む「高千穂丸」の記事については、「高千穂丸」の概要を参照ください。
- 台湾航路の落日のページへのリンク