台湾人と台湾競馬
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 18:10 UTC 版)
台湾競馬の初期(運動場や練兵場を借りて行っていた時代)には観客も日本人がほとんどを占めていたが、開催を重ねるにつれ台湾人も増えている。1935年(昭和10年)秋の屏東競馬では観客の3-4割が台湾人であったという。さらにその後の台湾競馬では馬主や騎手にも中国名の人物が目立つようになっている。昭和18年10月の新規騎乗許可を得た者(つまり新人騎手)は6人中5人が中国名で日本名は1人だけという状況になる。
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