古賀義弥とは? わかりやすく解説

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古賀義弥

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/11 07:15 UTC 版)

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古賀 義弥(こが よしや[1]1943年12月8日 - )は、日本の作曲家ギタリスト演出家ボイストレーナー。旧芸名:古賀 修

来歴

福岡県福岡市出身。福岡大学法学部法律学科卒業。

音楽大学を志すも家族(特に姉)の反対により断念し、法学部に進学。地元の福岡でカントリーバンド「シュガーフット・ブラザース」を結成しボーカルを担当。1966年渡辺プロダクションにスカウトされて上京、GSグループの「レオ・ビーツ」を結成し、ギター・ボーカルを担当。キングレコードから『霧の中のマリアンヌ』でデビュー。

1973年に渡辺プロから独立し、レオ・ビーツ6名のうち3名に新しいメンバー1名を加えて「ブルー・ジャッカス」結成。フィリップスより『理想の女』をリリース。その頃、日本テレビおはよう!こどもショー」「カックラキン大放送」などの音楽担当となる。1977年に「ブルージャッカス」を解散し、作・編曲、ボイストレーナーをメインとする活動に移行[2]

2013年7月には、うつみ宮土理と日本最高齢デュオ(当時ふたり合わせて140歳)の「R246」を結成し、シングル『あの道 この道』(うつみの夫・愛川欽也が作詞)でデビューした[3]

古賀作曲の競輪の選手入場曲だった『WAY TO VICTORY』は、元埼玉西武ライオンズ後藤武敏が登場曲としても用いた。

脚注

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