古田和三郎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/11 18:49 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動古田 和三郎(ふるた わさぶろう、1866年(慶応2年) - 1946年(昭和21年)4月24日)は、陸地測量部の測量官を務めた陸軍技師。
来歴・人物
慶應2年に現在の茨城県にて生まれる。1889年(明治22年)12月に陸地測量部陸地測量手(判任官)に任官し、1901年(明治34年)6月28日、陸地測量師(高等官八等)に任ぜられる[1]。1903年(明治36年)12月26日、高等官七等に陞進[2]し、日露戦争に従軍後、1909年(明治42年)12月27日、高等官六等に陞進[3]。
以後、満州の測量、清国応聘、陸地測量部修技所教官等に従事した。1918年(大正7年)12月27日高等官五等に陞進[4]。
1921年(大正10年)12月27日依願免官[5]となり、引き続き陸地測量部において業務嘱託となった。
栄典
- 1901年(明治34年)9月30日 - 正八位[6]
- 1904年(明治37年)3月18日 - 従七位[7]
- 1905年(明治38年)12月22日 - 勲六等瑞宝章[8]
- 1906年(明治39年)4月1日 - 勲五等双光旭日章、明治三十七八年従軍記章[9]
- 1909年(明治42年)5月10日 - 正七位[10]
- 1914年(大正3年)6月30日 - 従六位[11]
- 1915年(大正4年)5月29日 - 勲四等瑞宝章[12]
- 1919年(大正8年)7月31日 - 正六位[13]
- 1922年(大正11年)1月10日 - 従五位[14]
脚注
- ^ 『官報』第5396号、明治34年6月29日。
- ^ 『官報』第6148号、明治36年12月28日。
- ^ 『官報』第7955号、明治42年12月28日。
- ^ 『官報』第1922号、大正7年12月28日。
- ^ 『官報』第2823号、大正10年12月28日。
- ^ 『官報』第5475号、明治34年10月1日。
- ^ 『官報』第6212号、明治37年3月19日。
- ^ 『官報』第6746号、明治38年12月23日。
- ^ 『官報』第7098号、明治40年3月1日。
- ^ 『官報』第7760号、明治42年5月11日。
- ^ 『官報』第575号、大正3年7月1日。
- ^ 『官報』第847号、大正4年5月31日。
- ^ 『官報』第2097号、大正8年8月1日。
- ^ 『官報』第2830号、大正11年1月11日。
参考文献
- 大田寛之「『測量随録 原稿』とその内容について」『外邦図研究ニューズレター』第12号、大阪大学大学院文学研究科人文地理学教室外邦図研究グループ、2021年3月、 56-70頁。
関連項目
- 古田和三郎のページへのリンク