叙勲制度の創設
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明治維新下で近代的制度の整備が進められていた1871年10月15日(明治4年9月2日)、新政府は賞牌(勲章)制度の審議を立法機関である左院に諮問した。1873年(明治6年)3月には細川潤次郎、大給恒ら5名が「メダイユ取調御用」掛に任じて勲章に関する資料収集と調査研究に当たった。1875年(明治8年)4月10日、賞牌欽定の詔を発して賞牌従軍牌制定ノ件(明治8年太政官布告第54号)を公布して勲等と賞牌の制度が定められた。布告では、勲一等から勲八等までの勲等を叙した者にそれぞれ一等賞牌から八等賞牌までの賞牌を下賜するとした。このとき定められた賞牌の制式は、現在の旭日章の基となっている。 同年末には、有栖川宮幟仁親王以下10名の皇族が初めて叙勲された。皇族以外の者に対して初めて叙勲が行われたのは翌1876年(明治9年)で、台湾出兵の功により西郷従道が勲一等に叙された。また同年には、清国との交渉に功のあったアメリカ人のルジャンドルとフランス人のボアソナードが最初の外国人叙勲として勲二等に叙された。
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