取り残されたケース
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/20 07:31 UTC 版)
陥落時点で150人の韓国人が取り残されていた。脱出やボート・ピープルに混じって脱出するケースもあったが一部は取り残された。その多くは1年以内に送還された。しかし韓国人外交官3人は拘禁、さらに韓国に収監されたスパイとの交換を北朝鮮がベトナムに求めた事から拘禁は長期化した。スウェーデンの仲介とWHOを通じた支援の努力により1980年、勾留から5年後に釈放され金浦空港で迎えられた。
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