去勢と自己の確立とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 去勢と自己の確立の意味・解説 

去勢と自己の確立

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/13 00:26 UTC 版)

ジャック・ラカン」の記事における「去勢と自己の確立」の解説

詳細は「去勢」を参照 上記のことを言い換えれば父の名受け容れる過程は、幼児全能性である「ファルス」(仏:phallus)を傷つけることという意味で、去勢(仏:castration)と呼ばれるわけだが、この去勢によって、人間は自らの不完全性認め、不完全であるところの自己逆に積極的に確立するのである逆に見れば、「これが自分だ」と自己同定し自我確立するためには他者必要だが、そこで真の自己出会えるわけでは決してない。人は常に「出会い損ね」ている存在なのだ。ここに人間根源的な空虚さ見出せるとも言えるこのように彼の言う「我、思わぬ故に我あり」は、フロイトの「エスがあったところに自我生じなければならない」という警句別言である。ラカン鏡像段階論は、フロイトエディプスコンプレックス理論ラカン流に読み替えたものなのである

※この「去勢と自己の確立」の解説は、「ジャック・ラカン」の解説の一部です。
「去勢と自己の確立」を含む「ジャック・ラカン」の記事については、「ジャック・ラカン」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「去勢と自己の確立」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「去勢と自己の確立」の関連用語

去勢と自己の確立のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



去勢と自己の確立のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのジャック・ラカン (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS