占部雄貞とは? わかりやすく解説

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占部雄貞

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/10 16:24 UTC 版)

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占部 雄貞(うらべ の おさだ、弘仁2年(811年) - 天安2年4月10日858年5月26日))は、平安時代初期の人物は宿禰。神祇権少副・壹伎氏成の子とする系図がある。官位従五位下・宮主。

経歴

壱岐卜部氏は神代より亀卜に携わったとされるが、雄貞は兄弟の中で最も亀卜の術に優れた[1]仁明朝で宮主に任ぜられ、嘉祥3年(850年文徳天皇即位に伴い大宮主に任ぜられた。また、同年9月には八十島祭のために摂津国難波津へ遣わされている[2]斉衡2年(855年従五位下に叙せられ、斉衡3年(856年)には一族の神祇少祐・卜部業基らとともに占部宿禰姓に改姓している。

天安2年(858年)4月10日卒去享年48。最終官位は宮主外従五位下。

人物

を好んだが、酒色に耽って荒んだ生活を送るようになり、死去したという[1]

官歴

日本文徳天皇実録』による。

系譜

  • 父:卜部氏成[3]
  • 母:不詳
  • 妻:不詳

脚注

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  1. ^ a b 『日本文徳天皇実録』天安2年4月10日条
  2. ^ 『日本文徳天皇実録』嘉祥3年9月8日条
  3. ^ a b c 「松尾社家系図」『続群書類従』巻第181所収

参考文献




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