南隆農場開設まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/06 17:00 UTC 版)
「三五公司南隆農場」の記事における「南隆農場開設まで」の解説
愛久澤直哉は、帝国大学卒業後、しばらくして台湾に渡り、当時の児玉・後藤政治下の台湾総督府にて、総督府の計画する事業に協力した人物である。愛久澤は、総督府の事業の一環として、まず1909年(明治42年)、台中州北斗郡二林庄(現在の彰化県二林鎮)にて、日本人小作移民を収容し小作制大農場を経営するために、三五公司源成農場を開設した。しかし、離農者が多く、日本人小作人を収容する試みは失敗に終わった。その際、日本人移民の移民整理をした。この移民整理の際に生じた日本人小作人のうち34戸(157人)を収容するため、改めて別の土地に日本人小作人による小作制大農場を展開しようとした。日本人小作人を招来しようとする理由は、官有未墾地を民間に払い下げるにあたり、「日本人移民を招致すべし」との厳重な要件が付されていたからであった。そこで愛久澤は同じ年の1909年(明治42年)、高雄州旗山郡吉祥庄、竜肚庄、中壇庄、金爪庄等に1500甲の官有予約開墾許可地及び手巾藔庄の民有地930甲を買収し、南隆農場を開設した。
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