南方政府での活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/08/23 06:33 UTC 版)
同年9月、孫文が護法運動を開始すると、孫洪伊もこれを支持して、護法軍政府に参加し、内務部長に任命された。孫洪伊は、馮国璋ら直隷派との関係を利用し、北京政府へ政略を仕掛けるなどの役割を果たした。後の第一次国共合作では、李大釗とのかねてからの親交を生かし、その成立に貢献している。 しかし、1925年(民国14年)3月に孫文が死去すると、孫洪伊の政治舞台での目立った活動が見られなくなる。日本との戦争が激化すると抗日を提唱する一方で、仏教に篤信する生活に移った。 1936年(民国25年)3月26日、上海で病没。享年65(満63歳)。
※この「南方政府での活動」の解説は、「孫洪伊」の解説の一部です。
「南方政府での活動」を含む「孫洪伊」の記事については、「孫洪伊」の概要を参照ください。
- 南方政府での活動のページへのリンク